すぐかえすからが60万に??(1)
庭木の手入れが20万事件から、瞬く間に半年が過ぎました。
借金あるある定番で、もちろん返ってくることはありませんでした。
彼にも催促いいにくいなと思っていたところ、勤務先に主人から電話が!
「義父が危篤だから、一緒にきて」
義父は、この4年前に脳梗塞で倒れ、義母が在宅介護をしていたのでした。
その件もあり、庭木の手入れ20万事件にあまくなってしたこともあるかもしれません。
義父とは、結婚の挨拶に行った時とその後数回お見舞いにいっただけとなってしまいましたが、私が行くたびに号泣でした。当時は、号泣する理由を年をとったせいと思っていましたが、なにか思うところがあったのかもしれません。
主人曰く、義父はなんの趣味もなく、主張もなく、ただただつまらない会社だけの人生の人という評価だったのですが、私には優しい義父にみえました。まあ、一緒に暮らしもしてない、介護もしてない私ですから、よい面しかみえないのかもしれません。
でも、そんな義父が一度だけ我を通した件があります。
結婚したばかりの私たちへの新居にどうしても行かなければならないと言い出したのです。
義母も義妹も主人も一様に、「お父さんがそんなに頑固にいいはるなんて驚きだ」といいました。脳こうそくの後遺症で歩くのもままならず、ほとんど車いす状態で、出歩くのを極力避けていると聞いていました。
そんな義父が、私たちの新居にいくと言い出したのは、息子が世帯を構えたことに対する親としての最後の締めの責任を果たしたかったのだろうと思います。
その時も、義父は来て、ほとんど話すことなく号泣でした。
駆けつけたとき、義父はもう意識がありませんでした。
何度も体をさすりました。来ましたよ、と声をかけました。
お医者様からは、このままずっと生き続けるかもしれないし、すぐに亡くなるかもしれない、ある程度の持久戦の覚悟をと言われ、会社帰りに駆けつけていた私たちは泊まれるように一旦自宅に帰宅し、持久戦に備えることにしました。
電車の中で、今後のことで主人にアドバイスを何度もしました。
そう、このような事態でも私は
庭木の手入れ20万事件を忘れませんでした。
「これから、義父がなくなれば、義母は直後は葬式もあるし、バタバタして気もはるから元気なようにみえるでしょう。でも、しばらくしたら、がくっとくるから、その時に頼りになるのはある程度のお金でしょう。介護生活がつづき、疲れているだろうし、いかにお葬式の時にお母さんにお金を残してあげられるか、頑張ろうね。庭木の手入れ代のこと考えても、家計はぐちゃぐちゃなんじゃない?とりあえず安心して暮らせるように手はずを整えようね」と話し続けていたのを思い出します。自分のやさしさに目頭があつくなります。
そこへ、携帯電話がブルルル。
「あ、亡くなったって」
がっくりきました。当時、ちゃんとした喪服をもっていなかった私はそのまま喪服の準備に行き、主人は先に一旦帰宅後、すぐに実家へ向かいました。私たちが住んでいたところからは2時間30分ほどかかり、主人が到着したのは、連絡をうけた叔父様方より随分とおくれることになってしまいました。私は喪服の準備を含めると当日中に向かうのが難しく、義母宅は駅からとおく迎えの車もなく、なにより客用布団もなかったため、翌朝再度向かうことになりました。
主人とわかれるとき、
「死んでるものより、生きてるもの!さっきいったこと忘れないでね!がんばってお金を残せるよう手はずを整えてきてね!がんばってね!」
何度も言い、終いには、主人には「わかってるって!」と怒鳴り返されました。
でも、今思います。
あのとき何が何でも主人について、行くべきでした。