すぐかえすからが60万に??(4)
そんなこんなで、隣組には計15万ほど。
葬儀には150万ほど
戒名代に60万。
225万かかりました。
香典代は120万ほど。
そのうち、20万は私たち夫婦と私の実家からの香典で。
30万は主人の会社。
10万は親戚陣。
5万は老人会懇情。
けっきょく、のこりが義母のつての香典代でした。義父はほんとうに大人しいひとだったので、義父のつながりの方たちはいなかったのです。義父にいまでいうお友達がいなくたって、寂しい人だったとは思いません。人生を義母に捧げ、ほんとうにすばらしかったと思います。この部分にかんしては、いいたいことがたくさんあるのですが、いつかいえる日がきたら、書き残しておきたいと思います。
義母のつて。。。
これが今でも悩ましいことになります。義母は若い頃から、昭和初期からはじまった新興宗教の強烈な信徒なのです。一応、元々の宗教は真言宗智山派です。しかしご本尊である大日如来はおらず、新興宗教の本尊が祀られ、しかも神道の神様もせまい家に3箇所祀られ、庭にはお稲荷様がいます。
あまりに多い祭壇に、魑魅魍魎があつまっているようにしかみえません。
義母のつては70名ほどきました。
この70名に対応するためでしょうか?
葬儀代は私たちが立て替えなくてはいけないほどの状況なのに、義母は通夜が終わり、明日が葬儀というときに、こう言いました。
「さて、わたしは着物でもきようかしら。着付けをおねがいしなくっちゃ!」
とびはねるように電話のもとにとんでいき、相手の方に弾むような声で着付けの予約をしはじめました。
「そうなのよ。ええ、そうなの。まあ、そういうことになりましてね、だから明日おねがいしたいの。」
まるでパーティにでかけるような声でした。私は、奇妙に思いながらも、4年にわたる介護生活で疲れているから、ほっとしているところもあるのだろうと思いました。人間の感情は、今見えるものがすべてではないはずだとおもいました。私自身がそうですから。でも、義母は、あの日みた浮き浮きした弾むような声や表情そのままに、嬉しくて仕方なかったのです。私たちの結婚式にもみなかったような高揚した表情でした。あれ以降、義母のあのような表情は一度もみたことがありません。主人曰く、昔よくつれていかれた新興宗教施設での表情と同じ感じがしたとのこと。主人は、本当にその新興宗教が嫌で嫌で、実家とは疎遠になっていた部分があったようです。
着物着付けは、着つけてくれる人の家にいって着つけてもらってました。実家には、きつけができるような部屋なんてないからです。
部屋がないだけではありません。
昔ながらの家なので、台所以外すべて畳部屋です。そこに親戚陣や訃報を聞きつけた方がやってきます。
義母は、「△△さん」とわたしの名を呼び、来られた方に手のひらをむけ、私に相手をしろというような態度をとります。私としては結婚式でお会いしたかもしれませんが、そんなの覚えていませんでした。義母は紹介もしてくれません。ただ来たかたの相手をしろといい、自分はさっさとお茶をのみにさがってしまいます。お茶をいれにいったのではないです。ただ、ひっこんだだけです。
きた方も、戸惑いながら、お互い自己紹介。故人のお話しをきいたり、お茶をだしたりしました。でもあれがないのです!
座布団です。
そういえば、それまでもざぶとんひとつだしてもらえなかったわたし。
お客様にはあるだろうと、座布団はどこにありますか?ときくと、なにやら裏に大量の衣装タンスで埋められている中から座布団をだしてきました。
それも1枚だけ。
その1枚は、煎餅布団のように薄く、白いカバーがかかっていましたが、中央に茶色く変色したシミがついていました。
親戚・隣組・来客、10名ほどが常にいる状況で、これは使えません。主人も義母も、私がざぶとんを求めた意味自体が理解できないようでした。
唯一の床の台所にもスリッパがありませんでした。
いや、あるにはあったのですが、ぬいぐるみ付のスリッパが1足だけ。しかも汚くボロボロです。台所の床は汚れやすいですから、自分の家ならいざしらず、他人のうちではスリッパが欲しかったのです。親戚・隣組のみなさんは慣れているようでしたので、そんなものかと思いましたが、私の実家では絶対に理解されないでしょう。客用スリッパがないなんて。
そんなこんなで、あっという間に、通夜・葬儀は終わり、葬儀代はいったいいくらになるのだろう、保険金はどれだけおりるのだろういう不安ばかりでした。庭の手入れ20万+戒名代60万+隣組代15万=計95万。
こんなに貸したのなんて、人生初めてです。
私は、ドキドキが止まりませんでした。
葬儀の日は、義妹家族と私たちは、実家に泊まることになりました。翌日に、色々と死後の整理をしなければならなかったからです。
そして、予想通り、布団もありませんでした。
義父は介護生活の中、ベッドで寝起きしており、なくなってすぐに業者に引き取らせたのか、私が到着したときには既にありませんでした。ベッド生活になる前につかっていた布団もないのです。義母は、冬はこたつ、夏は畳にかけ布団で寝ているというのです。
あとから主人に聞きましたが、主人が小さい頃はちゃんと敷き布団かけ布団でねていたそうです。いつから、そんな状態なのか、まったくわからないとのことでした。とにかく、義母が使っている大き目のかけ布団を義妹家族3人が。肌布団を下に敷き、バスタオルをかけて、私たちは眠ることになりました。季節は5月。肌寒い感じもしましたし、それよりもこの貧乏たらしさに泣きたくなりました。
そして、寝る前に、私には絶対やらなければならないことがありました。